何もしたくない日に読む記事|怠け心をやさしく見つめる

ブッダの言葉

朝起きても体が動かない。
やらなきゃいけないことが山積みなのに、気持ちがついてこない。

そんな「何もしたくない日」、ありますよね…。

多くの人はこの状態を「怠けている」と感じ、
自己嫌悪してしまいます。

しかし仏教では、
こうした心の状態も大切なサインだと考えます。

この記事を、
「今日は何もしたくない」
と思っているあなたに読んでほしいです。

何もしたくない日は”心の雨の日”

仏教では、
心の働きを「五蓋(ごがい)」という5つの状態に分類します。

  • 貪欲蓋(とんよくがい):欲しがる心、物事への執着
  • 瞋恚蓋(しんにがい):気に入らないことに対する怒り
  • 惛沈睡眠蓋(こんじんすいめんがい):心が重く沈んだりだるさを感じたりする状態、または眠りこけてしまう状態
  • 掉挙悪作蓋(じょうこおさがい):心が高ぶったり、後悔の念に囚われたりする状態
  • 疑惑蓋(ぎわくがい):自分や他者を信じられず、疑いを持つこと

「蓋」とは、本来清浄であるはずの心を覆い隠し、
善い行いを妨げるもの=煩悩を意味します。

この五つの煩悩に妨げられると、
心は散乱し、集中力や悟りへの道が閉ざされてしまいます。

この中でも惛沈睡眠蓋は
心のエネルギーが低下してぼんやりしている状態です。

ただ、これ自体は悪ではなく、
「今は心が休もうとしているだけ」と理解することが大切なのです。

雨の日に無理に外で走り回らないように、
心が雨の日ならば休ませることも必要です。

お釈迦さまは弟子たちに対し、
(インドの)雨期にあたる3か月間は一か所にとどまり、
修行と休息に専念する「安居(あんご)」を指導しました。

これは「休むことも修行の一部」という考えを表しています。

自分を責めないための言葉

仏教の言葉に、次のようなものがあります。

自己を愛するがゆえに、悪をなすなかれ
(ダンマパダ)

ここでいう「悪」とは、
他人を傷つける行為だけでなく、
自分をむやみに責めることも含まれます。

「何もできないわたしはダメだ」と思うこともまた、
自分に対する暴力であるとお釈迦さまは説いています。

何もできない日は、まず
「わたしは今、休む必要があるんだね」
と心に声をかけてみましょう。

これだけで、少しずる肩の力が抜けていくのを感じるでしょう。

あなたは本当は何を求めている?

「何もしたくない」の奥には、
実はさまざまな感情や欲求が隠れています。

その”本当の気持ち”を知るために、
書き出しワークをやってみましょう。

  • 最近、どんなことが疲れた?
  • 誰のためにがんばりすぎた?
  • 本当はどんな時間がほしい?

例えば…

仕事が疲れた
→業務よりも人間関係に疲れた
→無責任な人が多くてイライラする
→物理的に距離をおきたい(ひとりになりたい)

こうして見つけた欲求は、
次の休みの日に少しずつ満たしてあげると
心のエネルギーが回復してきますよ。

”中道”の考え方でバランスをとる

「何もしたくない」と思っていても、
何もしない日が続くとさすがに不安になりますよね…。

ですが仏教では、「中道(ちゅうどう)」が大切だと説きます。

中道とは、
怠けすぎることと、がんばりすぎることの
どちらにも偏らない生き方です。

何もしたくない日には、以下のような「小さな行動」を選ぶとバランスがとれます。

  • 布団の中で深呼吸を3回する
  • カーテンを開けて光を入れる
  • 好きな音楽を1曲だけ聴く
  • 温かいお茶をいれる

こういった些細なことでも、
続けることで心が少し動き出しますよ。

お釈迦さまの休息の教え

仏典には、お釈迦さまが疲れた弟子に

森の中で静かに坐って心を整えよ

と語った場面があります。

お釈迦さまは無理に続けるよりも、
まず心を回復させることが大事だと伝えています。

現代でも同じです。

「今日は休もう」と決めて、
スマホも手帳も閉じて、ただゆっくり過ごす。

それだけで、次の日の行動力がまったく違ってくるはずです。

休むことも立派な行い

何もしたくない日を「ダメな日」と見なさず、
心のメッセージとして受け取る。

それが仏教的な視点です。

休むことは怠けではなく、心の安居
自分を責めず、やさしい言葉をかける
小さな行動からバランスを取り戻す

お釈迦さまの言葉を最後に紹介します。

疲れたなら、立ち止まりなさい。休むこともまた道である

今日は何もしない日でもいい。

あなたが心を回復させるその時間が、
明日を生きる力になりますように。

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