いつも謝ってばかりの自分に、やさしくなる

~ブッダの言葉がくれた「ごめんなさい」の意味~

「ごめんなさい」が口ぐせになっていた

気まずい空気になったとき。
相手が不機嫌なとき。
小さなミスをしたとき、あるいは、ミスをしていなくても…。

「ごめんなさい」と、
気づけば反射のように謝っている自分がいる。

もちろん、自分に非があることもある。
でも、なんでもかんでも“自分が悪い”ことにしてしまう癖が、
少しずつ、心の奥を疲れさせていく。

謝ることは美徳。でも、「自己否定」ではない

仏教では、過ちを認めて謝罪することを大切にしています。
そこには、「慢(まん)」――つまり、傲慢さを捨てるという意味があります。

「過ちを知りて改めるは、心の成長なり」
―『ダンマパダ』

でもそれは、「自分がすべて悪い」と思い込むこととは違います。

ブッダの教えにある「中道」とは、
極端に責めることも、極端に開き直ることもせず、
ちょうどよいところで、自分の在り方を見つめるという姿勢です。

心理学でも問題になる「過剰な自己責任感」

現代心理学では、「いつも謝ってしまう」「自分のせいにしてしまう」傾向を
過剰な自己責任感対人過剰適応と呼びます。

  • 相手の怒りや不機嫌が怖くて、すぐに謝ってしまう
  • 「嫌われたくない」気持ちが強くて、先回りして謝る
  • 自分の意見や感情を抑えて、「悪者」になることで関係を守ろうとする

こうした傾向は、やさしさや思いやりの裏返しでもあるけれど、
長く続くと、自己肯定感の低下や疲弊につながるのです。

「謝らないと関係が壊れる」と思っていませんか?

あなたがすぐに謝ってしまうのは、
きっと「人との関係を大切にしたい」からですよね。

でも、ブッダはこう語ります。

「他者に過剰に従うことは、自分を失うことに通ず」
―『スッタニパータ』

謝ることで関係を守れることもありますが、
謝りすぎることで、自分の輪郭が見えなくなってしまうこともあります。

ときには、「私はそうは思っていません」
「ごめんなさい、でも私はこう感じています」と、
静かに立つこともまた、関係を育てる力になります。

謝る前に、自分に問いかけたいこと

謝ることが悪いわけではありません。
でも、その前にこんなふうに自分に問いかけてみてください。

  • 本当に私の責任だろうか?
  • 私は、どう感じている?
  • 謝ることで、自分を守ろうとしていない?

「謝る前に、気持ちを聞いてみる」
そんな小さな習慣が、自分の声を守ってくれます。

「ごめんなさい」の代わりに

ここからは「ごめんなさい」の代わりに使うと
相手を傷つけず、自分も許せる言い換えをご紹介します。

①「遅れてごめんね」 → 「待っててくれてありがとう」

②「気を悪くしたらごめんなさい」 → 「今のことでどう思った?」

③「ごめんなさい、でも…」 → 「私はこう感じたんだけど、どうかな?」

こうした言い換えは、謝る回数を減らすのではなく、
自分の気持ちを正直に伝える新しい手段です。

少しずつでも大丈夫。
自分ができそうな言い換えから、
チャレンジしてみませんか?

ブッダが教えてくれた「許し」

ブッダは、人の過ちや心の弱さについて、こう語っています。

「他者もまた、過ちを繰り返す存在である。ゆえに、まず自らを許せ」
―仏教説話より

謝ることでしか関係を守れないと思っていたあなたは、
とてもやさしく、まっすぐな心の持ち主です。

でも、謝るだけが誠実さではありません
あなたの気持ち、あなたの感じ方にも、ちゃんと居場所があるべきです。

だから今日だけは、
「ごめんなさい」の代わりに、自分にこう言ってあげてください。

「私は、ちゃんと向き合おうとしてる。それだけで、十分えらい。」

コメント