~ブッダの言葉が教えてくれた「うまくいかない日」の過ごし方~
最近、なんだかうまくいかない
電車に乗り遅れた。
買ったばかりのものを落として壊してしまった。
仕事ではミスが続き、人間関係にも小さなすれ違いが重なる。
「最近ツイてないなあ」と思うこと、ありますよね。
気のせいかもしれないと思いつつも、
「何か悪いことしたかな」「自分がダメなのかな」と、
つい心のなかで、自分を責めてしまう。
でも、そんなときこそ、ブッダの言葉がやさしく語りかけてくれるのです。
「思い通りにいかないこと」こそが人生
ブッダが説いた教えの中心にあるのは、「四苦八苦」という考え方です。
「人生には、思い通りにならないことがつきものだ」
―『ダンマパダ』
ブッダは、人生そのものが「苦(ドゥッカ)」であると語りました。
ここでの「苦」とは、痛みだけではなく、
思い通りにいかない状態すべてを指します。
- 好きなことが続かない
- 苦手なことが避けられない
- 大事なものは、失うことがある
つまり、「ツイてない」と感じるのは、
あなたに何か欠けているからではなく、人として自然な感覚なのです。
心の抵抗が、苦しみを増やす
心理学にも「第二の苦しみ」という概念があります。
これは、起きた出来事自体よりも、
「なんでこんなことに…」と自分を責めたり、
「またうまくいかない」と未来を悲観したりすることによって、
心の苦しみが二重・三重になるというものです。
ブッダはこう語ります。
「矢に射られた者が、さらに自らを二の矢で刺すようにしてはならない」
―『サンユッタ・ニカーヤ』
起きた出来事(第一の矢)よりも、
自分で自分を責める(第二の矢)のほうが、痛みを深くしてしまう。
まずはそのことに気づくこと。
「私はいま、自分に厳しくなっているな」と受けとめるだけで、
心はすこし、ほどけていきます。
運の波は、心の見方で変わっていく
「最近ツイてない」という感覚は、
出来事そのものではなく、「それに対する“評価”」によって生まれます。
同じことが起きても、
「ああ、ツイてないな…」と思う人もいれば、
「これは休むタイミングかも」ととらえる人もいます。
仏教では、物事に「善悪」や「成功・失敗」といったラベルを貼ることをやめ、
そのままを観ること(“正見”)を大切にします。
「何が起ころうとも、それは変化の中のひとつである」
―『無常経』
いまはツイていないように感じても、
それもまた“変化の途中”であると気づけば、
ほんの少し、肩の力が抜けるかもしれません。
うまくいかない日の過ごし方
では、「ツイてない」と感じるとき、
どんなふうに過ごせばいいのでしょうか。
- 「ツイてない自分」を責めない
- 視点を変えてみる
- 小さな「ありがとう」を見つける
きょう、今すぐ実践できなくても、大丈夫。
自分にやさしくしたい、と思ったら、思い出してください。
「ツイてない自分」を責めない
ツイてないときって、自分が一番不幸と思いたくて、
その結果周りに八つ当たりしてしまったり、
それに対してまた自分を責めたり…と、
負の連鎖が起こってしまうとき、ありますよね。
そんなときは、
「こんなときもあるさ」と言って、
お茶を飲む、ゆっくり寝る、それだけで十分です。
視点を変えてみる
こんな風に考えてみるのはいかがでしょうか?
いま、ツイていないのは失敗ではなく、「流れが変わる予兆」かもしれない、と。
一度立ち止まってみることで、
見えなかったものが見えてくることもあるかも知れませんね。
小さな「ありがとう」を見つける
道端の花、差し入れのお菓子、ふと届いたメッセージ。
“運が悪い”日にも、光るものはあります。
あなたには、そんな些細な「良いこと」に気づけて、
そして感謝できる心があります。
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たとえ雲があっても、空はいつも広がっている
「最近ツイてない」と感じるとき、
私たちは視界が狭くなり、未来が見えなくなってしまいます。
でも、ブッダはこう教えてくれます。
「雨は降るが、空は晴れる」
―(仏教説話より)
雨が降る日も、雲の向こうには空があるように、
あなたの心の奥には、いつも広がりがあります。
ツイていないことも、
やがて何かを運んできてくれるかもしれません。
どうか今日だけは、
「うまくいかない自分」にやさしくしてあげてくださいね。
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