~ 「ねばならない」から自由になる、ブッダのまなざし ~
いつの間にか、「良い人」でいようとしていた
誰かに迷惑をかけないように
気を遣って、優しくして、ちゃんとやって…
気づけばいつも、
「いい人」「ちゃんとした人」「傷つけない人」になろうとしている。
でもふと、静かな夜にこう思う。
なんでわたし、こんなに疲れているんだろう?
それはきっと、
がんばって「良い人間」であろうとし続けてきた、
あなたのやさしさの証なのです。
「良さ」には終わりがない
「良い人間になりたい」と思う気持ちは、
決して悪いものではありません。
でも、「良さ」には終わりがありません。
もっと親切に、もっと強く、もっと正しく…。
目指せば目指すほど、
自分に対するハードルも、知らず知らず高くなっていくのです。
ブッダはこう語っています。
「善をなすことを求めすぎて、心を傷つけてはならない」
―『ウダーナヴァルガ』
本当のやさしさとは、
他者への優しさと同じだけ、自分にも向けられることなのです。
心理学でも言われる「いい人疲れ」とは?
現代心理学では、
自分の本音を抑えて他人に合わせ続けることを、
「自己犠牲的適応」と呼びます。
これは、表面的には人間関係を円滑にするものの、
内側では自己否定が蓄積しやすく、
燃え尽き(バーンアウト)にもつながる危険性があります。
つまり、「良い人になろうとがんばること」が、
自分自身の心のエネルギーを静かに削ってしまうことがあるのです。
これではまさに、本末転倒ですね。
ではどうすれば、「いい人疲れ」から抜け出せるでしょうか?
良い人間ではなく、「正直な自分」に戻る
仏教の教えには、正直心(しょうじきしん)という言葉があります。
それは他人に対してというよりも、
まずは自分自身に対して正直でいることを意味しています。
「他を偽らず、まず己を偽らぬこと」
―『大般涅槃経』
“良い人”であるために笑顔を貼りつけるよりも、
「今日はつかれてるな」「今は無理だな」と
自分の本音に気づき、ゆるすこと。
そこから、ほんとうの意味でのやさしさが芽ばえてくるのです。
「良い人間」を手放す、小さな練習
今日から少しずつでも取り組める、
「良い人間」を手放すヒントを3つご紹介します。
- NOを言ってみる
- 自分だけのために時間を作る
- 「~するべき」を減らす、完ぺき主義から最善主義へ
完ぺき主義から最善主義はわたしも実際に取り組んでいます。
正直、なかなか難しいときもある。
でもそんなとき、自分を責めず、
「大丈夫、大丈夫」と許すクセをつけています。
あなたも、一緒にいかがですか?
NOを言ってみる
あなたもきっと、「断るのが苦手な人」ではないでしょうか?
断ったら、気を悪くさせてしまうんじゃないか…
違う意見を言うと、相手を否定したようにならないか…
そんな風に思って、
いつも相手の顔色をうかがっていますよね?
あなたは、本当にやさしい人ですね。
でもね、
一度だけでいい、「今日は無理です」と言ってみましょう。
それが自分を大切にする一歩です。
自分だけのために時間を作る
誰かのためでなく、ただ「好きだからやる」「休みたいから休む」
そんな時間を作ってみてください。
今日はなにもしない!
と、決めてしまうのもOKです。
それは、サボっているのではありません。
自分を労わっていると、自分をゆるしましょう。
「~すべき」を減らす、完ぺき主義から最善主義へ
「ちゃんとしなきゃ」「優しくしなきゃ」と思ったとき、
心の中でそっと問い直してみましょう。
- それは、本当に”しなきゃ”なの?
- それは、わたしの望み?それとも期待?
期待って、ちょっと扱いが難しいですよね。
期待されるってがんばるパワーになるけれど、
同時に”かんばらなきゃ”という、
義務(プレッシャー)にもなりえます。
そんなときは、「完ぺきを目指す」のではなく、
「今、できるベストをつくす」=最善主義を
意識してみませんか?
ブッダは、あなたを責めない
ブッダは、何かになろうと背伸びするわたしたちに、こう語りかけます。
「人は人、自らは自らの道を行け。水が流れるように」
―『ダンマパダ』
あなたは、もう十分にがんばってきました。
誰かの期待に応えられないときがあっても、
思いやれない日があっても、
それでもあなたの価値は、ひとつも変わりません。
「良い人間」でなくていい。
ありのままの、ちょっと疲れたあなたでいい。
そう思えたとき、心にふっと、やさしい風が通るようになります。
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
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