~どんな日も、仏のまなざしの中にある~
今日はいい日だった。
そう思える日もあれば、何もかもうまくいかず、落ち込んでしまう日もあります。
仏教には、「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」という言葉があります。
一見すると「毎日が素晴らしい日である」という前向きな言葉に見えますが、実はそれだけではありません。
ここでは日日是好日の本当の解釈と、日々の生活の中での活かし方を一緒に見ていきましょう。
日日是好日とは?
この言葉は、禅僧・雲門文偃(うんもんぶんえん)の語録に記されたものです。
直訳すると「日々是(これ)好日」――つまり「どの日も、よい日である」。
ここでいう「好日」は、ただ楽しい日、嬉しい日という意味ではありません。
雨の日も、つらい日も、思いどおりにいかない日も、あるがままの一日を、そのまま「よき日」として受け入れるという、深い悟りの境地を表しています。
嫌な日にも、意味がある
朝から気持ちが沈み、なんとなく元気が出ない日。
思わぬ言葉で人を傷つけてしまった日。
孤独や焦りに押しつぶされそうな夜。
そんな日があると、私たちはつい「今日はダメな日だった」と判断してしまいます。
でも、ブッダの教えに照らせば、それもまた「気づき」を得るための大切な日なのです。
「うまくいかなかった日」こそ、自分の未熟さに気づき、少しずつ変わっていく入り口になるからです。
心のあり方が、「好日」をつくる
『ダンマパダ』という経典の中で、ブッダはこう語っています。
「すべては、心に始まり、心にあり、心によってつくられる」
つまり、今日という一日を「よき日」とするかどうかは、天気や出来事ではなく、「自分の心のあり方」によって決まるのです。
朝、静かに目を閉じて呼吸を整えること
感情に名前をつけて、自分の気持ちを丁寧に見ること
忙しい一日の中に、ほんの一杯のお茶の時間を取ること
それらの積み重ねが、どんな日にも「よさ」を見出す心を育ててくれます。
よくなかった日にも、感謝を
仏教には「無常」という言葉もあります。
すべてのものは移りゆくという教えです。
今日つらかったことも、明日は和らぐかもしれません。
明日にはまた、新しい風が吹くかもしれません。
だからこそ、今日のつらさにも意味があると信じてみる。
「この日も、私にとっての“好日”になりうる」と受け止めてみる。
それだけで、少しだけ世界がやわらかく見えるかもしれません。
あなたの今日も、きっと好日
「日日是好日」とは、どんな日でも意味があり、そのままを味わうことができる“しなやかな心”のこと。
悲しみの中にあるときも、自分に「よくがんばってるね」と声をかけてあげてください。
それが、仏のまなざしであり、あなた自身をやさしく支える力になります。
今日という日が、あなたにとって「好日」になりますように。
「晴れの日を喜び、雨の日を受け入れる者は、どんな日も美しい」
― 禅語『日々是好日』より
コメント