「資格がない」と感じる瞬間は、誰にでもある
あなたが何かに挑戦しようとしたとき、
「こんな自分にそんな資格はない」と思ったことはありませんか。
大きな夢に挑むとき、誰かに愛されるとき、
あるいはちょっとした贅沢を楽しむときでさえ、
心の奥から小さな声が聞こえてきます。
あなたには、まだその価値がない
と…。
これは特別な人だけが感じるものではなく、
誰にでも訪れる感情です。
仏教では、
このような自分を責める心の動きを「罪悪感」や「劣等感」と呼びます。
お釈迦さまは、
わたしたちの心はいつも「足りない」と思う習性をもっている
と説きました。
この「足りない」という感覚が、
向上心の原動力になることもあります。
しかし度が過ぎると、
あなた自身を苦しめ、行動する勇気を奪ってしまいます。
この記事では、自分にはその資格がないと感じてしまう正体と
心が軽くなる対処法をご紹介します。
「資格がない」と思う心の正体を”見つめる”
仏教では、ものごとの苦しみをほどくために、
まず「心を見つめる」ことから始めます。
資格がないと感じるとき、そこには次のような感情が隠れていませんか?
- 誰かに認めてもらえないのが怖い
- 失敗して恥をかくのが怖い
- 自分が幸せになることへの遠慮や罪悪感
- 過去の失敗や後悔がよみがえってくる
このような感情は、仏教でいう
無明(むみょう)——心が曇って真実が見えなくなった状態——
から生じると言われています。
「わたしはダメだから幸せになれない」という考えは、
実は事実ではなく、心がつくり出した物語にすぎません。
お釈迦さまはこう言います。
過去を悔いても、未来を恐れても、今の一歩は踏み出せない
いまこの瞬間を、ていねいに生きよ
自分を裁かず、ただ”見つめる”
では、どうすればこの「資格がない」
という思いに振り回されずにすむのでしょうか。
仏教では、瞑想やマインドフルネスを通して
「ただ心を観察する」ことをすすめています。
例えば、こんな練習をしてみましょう。
- 深呼吸をして、目を閉じる
- 「資格がない」と思ったときの自分の胸のあたりに意識を向ける
- その思いを「ジャッジせず」に眺める
- 「いま、わたしはそう感じているんだな」と心の中でつぶやく
これだけでも、心の重さが少しずつやわらいでいきます。
仏教では、
わたしたちは「善悪の裁判官」ではなく、「ただ観察する人」になることで
自由になれると説きます。
小さな行動で”資格がある自分”をつくる
自分には資格がないと思ってしまうとき、
大きな挑戦をいきなりする必要はありません。
仏教では、日常の小さな行いを積み重ねることで、
心が少しずつ強くなると教えます。
- 一日3回、「ありがとう」を意識して伝える
- 誰かのためにちょっとした親切をする
- 自分をねぎらう言葉を一日ひとつかける
これらは「布施(ふせ)」と呼ばれる行いです。
お布施という言葉は、お金を寄付する、
という意味に取られがちですが、必ずしもお金を使う必要はありません。
やさしい言葉や笑顔も立派な布施です。
少しずつ積み重ねることで、
心の奥に「わたしには価値がある」という実感が育っていきます。
幸せになることを赦す
最後に大切なのは、
「幸せになっていい」と自分に許可を出すことです。
仏教では、
すべての人が仏性(ぶっしょう)——目覚める可能性——
を持つと説かれます。
あなたの中にも、他の誰の中にも、同じ光があります。
資格がある・ないという考えは、ただの思い込みにすぎません。
お釈迦さまは、どんな人でも一歩を踏み出せば、
その瞬間から道が開けると言っています。
あなたが「幸せを選んでいい」と決めた瞬間から、
もうその資格は与えられているのです。
最後に
「資格がない」という思いは、
多くの場合、自分を守るための心のクセです。
そのクセに気づき、裁かずに見つめ、
日々の小さな行動を積み重ねることで、心は少しずつ自由になります。
今日のあなたができることは、たったひとつ。
わたしは幸せになっていい
と、心の中でそっとつぶやいてみてください。
その一歩が、明日のあなたを変えていきますよ。


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